画家 浜田隆介

詩集

家 計 簿

るんるん5号で、次号からは糠味噌くさい作文を書きますから、と約束していながら6号をサボってしまった。
少年の頃、大人の誰かから「欧米人はチーズの臭いがして、中国人(その時その人は支那人といった)はニンニクの臭いで、日本人はヌカミソと、それぞれの体臭を持っているものだ」と聞かされた記憶があるが、母親だったかも知れない。

糠雨・糠荏(紫蘇)・糠蝦(淡水の極く小さなエビ)・糠買い(好色万金丹?)・糠釘(極く小さな釘)・糠子(蚊の別称)・糠袋・糠篩(目の細かいふるい)・糠漬・糠蝿(ウンカの別称)・糠穂(イネ科の雑草)・糠星(スターダスト)・糠屋(納屋)・ヌカ悦び・ヌカ働き・ヌカミソ女房・・・・・・と糠のつく言葉もかなりある。
糠味噌女房はさて置いて、慷はこの世で余り大切に扱われていないもののようである。
頼りなく、はかなく、下賎で不埒者として虐げられている。
管理的発想から誕生する規約や規則の埒外にあって、権力に癒着する権威筋からは嘲笑され、イビリ苛なまれる対象である。
―あいつヌカミソみたいなヤツや―

糠はビタミンBの原料であるのがうれしい。糠味噌桶の中のようにおどろおどろと肩をすぼめちぢこまり、偏ったシチュエーションのカテゴリーで、土くさく、泥くさく、ただ積み重ね積み重ねしてきた時間の重みと神秘的悪臭がヌカ的感性の連帯を養い、逞しく執拗な悦楽の幻想を恣に貯えているようだ。

連想ゲームではないが、糠味噌と言えば、古女房、女房と出れば家計簿・愚痴・こごと、とつづくのが時代遅れの庶民感情であろう。
連れ添って四〇年近くになるが、我が家では家計簿なるものは、銀行預金通帳、各種保険証などと共についぞ見かけたことのないシロモノだが、これは当時記載すべき素材の絶対的不足に依るものであったと反省している。
贖罪感覚で考えるならば、家計簿に記入されるその日その日の数字のファィルこそ、現代経済社会における厳肅な庶民生活の歴史であり、偉大なる糠味增文学の原点でもある筈だ。

(昭和五八年八月九日 原爆記念日 六五才)

第1期
(1983年2月~11月)
第2期
(1985年6月~1986年5月)