〇月〇日(金)
突然東京にいる〇から電話があった。
“借金を抱えてどうにもならず、しばらく東京から蒸発する。大阪へ片道切符で行くからめんどうたのむ”と云う。冗談にしては余り気の利いたものとは云えないが、兎に角電話ではどうしようもないから出向いてこいよと電話を切る。
画学生時代の仲間の中で最年長だったし、生砕の江戸っ子で、ヤンチャな他の仲間に比べたら世間常識に秀れていて、律儀で、絵も具象色感も澄んでいたように覚えている。あの真面目人間が、人殺しを為たわけでもあるまいし、やれるような男でもないのに逃亡しなくては不可んという事は余程のことらしい。
○月○日(土)
夕方○来阪、しばらく逢っていないのだが、可成憔悴しているように見える。七〇歳になったとか、“会社の債務が数千万円になって倒産した。経営の責任は一切自分だから一緒にやって来た仲間に対して申し訳がない。弱ったよ”と愚痴る。
慰めようにも、元気づけようじも突作に言葉が浮んでこない。“僕たちの仲間同士ならグチるのももっとユニークなグチリ方をしろや”と口の先まで出たけれど止めた。デカダンな時代の思い化話も余り出ず、黙って盃をかたむけるだけだったが、時間だけは速く過った。
○月○日(月)
弁護士に相談したら帰って来いと云うのでと、夕方○は東京へ帰って行った。○にとっては修羅場が待ち受けているだろうが、何となくただ「ホッ」とする。
あれから半年余りにもなるが、何の音沙汰もない。
(昭和五八年二月十九日)