画家 浜田隆介

詩集

老 人 無 頼

友人が“自画像”を添えて長い手紙をくれました。
(ママ転載すると著作権の侵害と投稿費規約に触れるので、少し端しょって紹介します。)

隆さん、暑かった。
理由の如何んを問わず家宅からの逃避行をつづけられることはまことに羡しい。
無頼のイズムを即、斤動にすることは素晴しいことであると、こちらの無頼派熟年グループで、兄を肴に先日横浜のパブで酒を呑んだ。
社会的にOB視されていることを意識して、何かと行動範囲を自律的に狭め、セクト的な小窓から世間様を覗き見して、あれは絵そらごとだ、詩だ、いや真実だ、音楽だなどと喚き蠢めいているけど、つまるところ悲しきオナニーを正当化しようと為っているにすぎない。
名古屋の虎さんは高血圧を医者に注意されながら売絵のネタ拾いにまたスペインあたりへ出掛 けたようだし、Kさんは前立線肥大症の手術で入院するそうだ。
私は左半身不完全になったので、この夏は湘南のサーフィンもかなわず、もっぱら海辺で近頃の均整のとれた若い裸をむさぼり眺めていた。
今年の暮に頭と体調を整えて、茅ヶ崎の文化会館ぐらいで、「巣箱の中の画楽多展」を考えている。
様式化した取り澄ましの展はノンセンスだよ、抽象、具象なんて言葉もノンセンスだ。こんど山や川や海や道端や団地のゴミ捨て場から拾い集めたゴミやガラクタをオブジェに転生させてみせる展を考えている。 ―少し古い発想だけどナー―
私の人生マラソンの状況を理解しようとしない連中の「無理をしなさんな」の忠告には“燕雀いづくんぞ鴻鵠の志を知らんや”。
家長の権威を持たない私は、家の中では猫だけど、無頼仲間の老人連と50ccバイクで、相模湖や箱根、横須賀と暴走族のお尻に追いて走り廻っている。
一見蓑虫のようでも、何かこの世に生きている証しを、気楽に為てのけようとガンバッている。
自画像
私は意慾を黒い色に包み
限りない核の針金に縛られる
狼がもっと走れもっと走れと嗾かける
その声は移り気にかげとなり黒く去る
輪の中の星を探す私は
冷たい炎であり、遠去る跫音であり
虚ろなスキャットであり、闇であり
空の空であり寂の寂である
それでも私の試行錯誤はっづく。
八・三〇 S・S

*        *

力強いと迄はいかないけど無頼連帯の共鳴音が感じられたテガミでした。
都会生活の重圧から、できるだけ永く、遠く、解放されて、自分自身の本音からの願望と可能性が抱くヒューマニティというものでしょうか。
体験のプロセスだけで、この移り変りのはげしい現代社会に、適切な対応の形づくりが出来ぬままに年を過て、いまだに燃え尽きない情念の炎をもて余している老年共を“無頼派”と呼んでみましょうか。
無頼派は錯綜する慾望に余分な気づかいと、思惑の気負いを超えなくてはならない、全てを粋にサラリと気楽にやってのけねばならない使命感を持つ。
切磋琢磨と泪ぐましき努力の集積や、カビの生えた栄光と挫折の勲章をひらびさせて生きのびようとすることを軽蔑しなくてはならないし、ふところ手で空き腹を押え肩で風をきって颯爽と闊歩しなくてはならないのです。
半身半人前の無頼老人が顔の筋肉を歪め、眼をギラギラさせ、モーターバイクで駆ける姿を想像して、私は矯激の讃歌を送りたいと思います。

(昭和五八年 九・十五 敬老の日・六五才)

第1期
(1983年2月~11月)
第2期
(1985年6月~1986年5月)