『Oさん。テガミみました。
所詮、死んで仕舞う今はの際まで生きとらんとアカンもんだと観念しましようや。』
銀座のド真中に事務所を構えて、一〇年余りも営業を続けてきたデザイン会社を、どう間違えたか倒産させてしまった私の青春時代の友人が、それからの経過や近況を綴って、九ヶ月余りも経っから寄越した長い手紙に、私はこんな書き出しで返事を書いた。
『具体的に何の協力援助が出来ない友人として、今更の慰めや励ましの言葉は“白らけ”につながってしまいます。
貴兄のテガミを受取る二日ばかし前に茅ヶ崎のSさんから電話があって、「この間〇さんに上野で逢ったよ、元気そうだったぜ」と聞いて何かホッとしていたところでした。
私の場合、身勝手さからのドジとスカタンの繰り返し過程が、女房子供、親戚縁者から総スカンを喰らう原因をつくってしまい、厄介ヂヂイのレッテルを貼られてしまったことに敢えて釈明せず振り向かず、ギンギラギンに然り気なく、年を顧みず、若い世代に交っての芸術村建設だ、前衛だ現代美術だ、シンポジュウムだ、やれイベントだと、ワイワイガヤガヤやってます。
「晴」と「褻」の交錯する現世の内で、どう云うものか、マイナー世論の民主化にロマンを覚えて、完成とか秩序といった言葉より、反抗、逃亡、革命といった言葉に法悦を噛みしめる感性が、メイジャー世界に順応すべき環境周辺からの説諭と非難を無理からぬことでありますと納得しながらも無頼の開き直りと、野垂れ死のゲイジュツを窮めることが男子生涯の生きざまであると恰好をつけて、夜毎劣俗なスーパーマンの夢をみているということは一体どういうことなんでしょうね。
確かにダラシの良い生きざまとは申し難いのですが、今更世の為家族の為に、節酒を励行し、両切りをフィルターに代えて歯を磨き、月に一度は散髪をして、入浴を欠かさず、食事を考え嗽をして、服装を整えて、常に愛想よく笑みを絶やさず、他人さまに迷惑をかけるようなことはくれぐれも慎しみ、セツセと自分自身の葬儀代を貯えておくことに心掛けなくては、家庭を持った化会人として恥かしいことであるという世間の常識的価値を受け入れる努力が面倒になってしまったのでしょう。
お酒を呑みながらスーパーマンの夢を見て、考えぬいた挙げ句の果が、今はの際までなり振りかまわず生きることを考えなしょ一がない、と云うことです。―ご自愛を。』
“追伸・新聞のマンガコンペに応募しましたので、お正月に賞金貰いに上京しますから、みんなで一杯やりましよう。
何嫂かで鬼が笑っていますか?”
小児科の医者が、小さい患者の前でおどけてみせながら注射をやってのけるように、失意の人間を慰めようとするためには、徹底した道化役も必要なのである。